コンプライアンス問題は、どの国でも避けられない課題です。特に、グローバル企業の海外子会社におけるコンプライアンス問題は、その重要性が極めて高いといえます。なぜならば、多くの海外子会社は、独立した法人としての機能が十分に整備されておらず、コンプライアンスにおいて致命的な問題が生じやすいためです。これは、人的リソースの不足や、拠点設置の目的が本社の生産工場や営業拠点としての役割に限定され、コンプライアンス対応を含む組織的な体制が十分に構築されていないことが背景にあります。
他方で、海外子会社はグループ全体の一員として、親会社が決めた方針や内部規定を厳格に遵守する必要があります。その結果、現地の法律や商習慣、従業員の価値観との間でギャップが生じ、運営に課題を抱えることになります。さらに、こうした現地特有の状況に適応する必要があるにもかかわらず、日本本社が一律のグループ方針や管理方法を適用することで、現地運営のガバナンスが複雑化し、発生した問題への迅速かつ的確な対応が難しくなる状況が見受けられます。
こうした背景を踏まえ、本稿では、海外子会社が直面するコンプライアンスの課題を分析し、その解決に向けた具体的なアプローチを提案します。
|
01 - ベトナム子会社でのコンプライアンス違反行為の例 |
ベトナムに進出する日系企業をはじめ、外資企業において、コンプライアンス関係の課題が多く見られます。特に、不正行為として頻発するのが「政府機関への賄賂」や「民間同士のキックバック」です。これらの問題は、新規進出企業や中小企業では規模が小さい場合が多いものの、進出5年目以降の長期進出企業や大手企業では、組織的な不祥事に発展するリスクが高まります。
その他の法律違反の典型的な事例として、ガバナンス不備(定款の違反や、ハラスメント等)、会社資産の横領、不適切な業者選定や見積調整を含む調達不正、雇用関係の不正(秘密保持違反、勤務時間内での自己営業活動)などが挙げられます。会社の内部規制については、ベトナムの管理者や従業員が主導する「利益団体」が形成され、日本人管理者の目が届きにくい部分で問題が発生することが少なくありません。
また、会社側のコンプライアンス違反として、業法違反、報告義務等の不実施、不正雇用や労働規則違反といった労務関係の問題も散見されます。
|
02 - コンプライアンス違反による、労働者、会社への悪影響 |
ベトナムにおけるサムスン電子企業(韓国系)での汚職刑事事件をご紹介します。本事件では、サムスン電子ベトナムタイグエンおよびサムスン電子ベトナムバクニンが、食事サービスを提供する企業と契約を結びました。当該食事の提供契約の基づき、調達された食材は厳格な基準に従い検査された後、工場の食堂に受け入れるプロセスになっています。しかし、2018年1月から2020年2月にかけて、特定の社員が食品検査や監査を担当する立場を利用し、供給業者28社から総額8億ベトナムドン(日本円換算でおよそ470万円)を賄賂の金額として受け取りました。その結果、犯罪をした個人に対しては、ベトナム刑法第354条「収賄罪」および第364条「贈賄罪」に該当すると判断され、懲役の判決を下されました。
また、会社にとっては、どのような悪影響があるのでしょうか。筆者は、ある日本企業のベトナム工場での不正調査業務対応したことがあります。その際、社員が食堂の食事に不満を抱き、労働意欲を低下させていることが伺える、労働者同士のグループチャットを目にしました。深夜シートの従業員に「賞味期限が1~2日の牛乳」や「冷たい夜勤用の食事」が提供されること、承認されたメニューと違った別の料理を提供すること等の不満が書かれておりました。ベトナムには「口を減らして客をもてなす」という諺があります。つまり、感謝の心を込めた食事のもてなしは、双方に信頼を生むものです。些細に思える食事の不満こそが、従業員の違法行為を誘発しかねない動機なるし、会社への貢献の気持ちがなくなり、業務の効率も落ちてしまう可能性があるのです。
|
03 - コンプライアンスの問題が発生する原因 |
ベトナムの日系企業で不祥事が発生する背景には、以下の3つの要素が密接に関係しています。
■ 機会 (Opportunity)
人的リソース不足や職務分掌の曖昧さが、不祥事の発生を可能にする土壌を作ります。特に、コンプライアンス担当者が設置されていない企業や、日本人管理者が生産業務に集中し、内部統制に十分な目が行き届かない場合、指導者の姿勢や内部統制の整備不足が問題を引き起こします。
■ 動機 (Motivation)
従業員が経済的利益を目的に不正を行う動機が挙げられます。例えば、ボーナスやコミッションに関連する業績アップのプレッシャー、待遇や業務に対する不満、さらには上司や同僚への不満が、不正行為の誘因となることが多いです。また、終身雇用という考え方が一般的でないベトナム特有の労働観も影響しています。
■ 正当化 (Rationalization)
不正を正当化する理由として、「前例がある」「十分な教育が行われていない」「法律や倫理観の違い」といった要因が挙げられます。さらに、文化や言葉の壁、または適切な相談窓口が設けられていない場合、不正行為が容認されやすくなります。
|
04 - コンプライアンス問題への対策 |
■ 正確に理解すべきこと
Y社はベトナムで、規制事業を行うためのライセンスを申請しましたが、申請書類は管轄機関のC課担当者の段階で3か月以上停滞しました。進捗状況の確認を繰り返しても、「関連部門の意見収集中」「課長の確認待ち」といった同じ回答が続き、さらに賄賂の要求もありましたが、Y社はコンプライアンス方針に従い支払いを拒否しました。 問題解決のため弁護士に相談したところ、「本件の権限者は、C担当者やC課の課長ではなく、C課が所属するその上のXXX庁のトップである」と確認しました。その後、弁護士を通じてXXX庁トップと直接アポイントを取り、状況を説明しました。トップの指示により、C課長が進捗確認を行い、上申書類の処理がようやく進展しました。最終的に、上位機関の圧力によって1か月以内に必要な手続が完了し、ライセンスが発行されました。 |
ベトナムでの行政手続きやライセンス申請などの場面で、担当者からの妨害や賄賂の要求に困るケースは少なくありません。しかし、管轄機関の組織構造や役割分担、手続きプロセス、最終的な権限者についての知識があれば、こうした問題に振り回されることは避けられる可能性があります。一般的に、行政手続き関係での賄賂を要求するのは実質的な権限を持たない者であり、最終的な権限者が賄賂を要求するケースはほとんどありません。権限を有する者は、自らの地位を危うくする行為を避けるため、基本的に賄賂には手を出さないからです。
そのため、管轄機関の構造や権限の所在を理解し、うまく賄賂を拒否しながら適切に問題を解決するための知識を持つことが重要です。多くのコンプライアンス問題は、実際には知識不足や制度の理解不足から生じている場合が多いのです。このような知識と理解を補完することが、コンプライアンス問題を克服し、健全な業務運営を行うための鍵となります。
■ 監査役の設置
ベトナム子会社において、コンプライアンス(法令遵守)とガバナンス(企業統治)の違いが十分に理解されていないことが、現地法人の運営に大きな影響を与えています。本来、ガバナンスの枠組みの中で、社長や日本人管理者が業務を統括すれば、コンプライアンス上も充分であるはずですが、親会社からは、コンプライアンスに関する細かな対応や監査業務も求められるケースが多くあります。特に、問題が発生した際には、社長や現地管理者の責任が問われることがあり、負担が集中する傾向が見られます。人的リソースの不足やコスト削減の優先が、独立法人としての機能を十分に果たせていない原因となっており、総括の管理者に重い負担がかかっています。
このような状況では、コンプライアンスの細部に対応することに追われ、本来のガバナンスの役割が曖昧になるだけでなく、親会社と現地法人の間に不必要な緊張感を生むリスクがあります。その結果、会社の経営者は、生産や事業発展に集中することができなく、場合によって大胆な決断をすることができない可能性があります。
コンプライアンスとガバナンス問題を解決するための監査役の設置
この問題を効果的に解決し、現地法人が独立した運営基盤を確立するために「監査役」の設置を推奨します。監査役の設置は、管理者(特に社長)の負担軽減だけでなく、企業全体のコンプライアンス環境を改善する重要な役割を果たします。なお、外部専門家に外注することも有効な施策といえます。
ベトナム企業法に基づく監査役の権限・義務
監査役は、以下の権限と義務を有します:
- 権限:
- 管理者の職務履行の監査(観察・調査)
- 管理者への事業活動・財務状況報告の請求権、経営会議等への出席
- 違法行為の差止請求権および訴訟代表権
- 義務:
- 会社及び所有者(親会社)の利益を守るため、誠実かつ慎重に職務を遂行すること
- 私利や他者の利益のために地位や職務を乱用しないこと
- 所有する株式や関係者との利害関係を適切に報告すること
監査役設置のメリット
監査役を設置することにより、以下のメリットが期待されます。
- 管理者の負担軽減:日常的なコンプライアンス監査業務を監査役が担うことで、管理者の負担が軽減され、重要な経営判断に集中できます。
- コンプライアンス監査の客観性向上:監査役は中立的な立場で監査を行うため、より公平かつ効果的な監査が可能となります。
- 専門的な指導と環境改善:監査役は、コンプライアンス問題に対する具体的な対策や指導を提供でき、企業全体のコンプライアンス環境を向上させます。
■ 現地と親会社の橋渡しとしてのコンプライアンス体制 (1)
グループ全体のコンプライアンス方針と現地独自規則のバランスを図る
ベトナムに進出する日系企業において、日本の親会社が作成した内部規定をそのまま現地子会社に適用することで、従業員の不満や非効率性を引き起こすことが多く見受けられます。この問題を解決するためには、以下の2つのポイントを検討する必要があります。
- 現地独自の規則を設ける: グループ全体のコンプライアンス方針を基軸としつつ、ベトナムの法令や商習慣を踏まえた独自の規則を現地の言葉で作成。
- 現地の状況に即した柔軟性: 親会社の基準を参考にしつつ、ベトナムの現実的な運営状況に即した規定内容を設けることで、従業員の実務負担を軽減し、規則への受容性を高める。
■ 現地と親会社の橋渡しとしてのコンプライアンス体制 (2)
ベトナム特有の商習慣とのバランスを検討
- 違法性を回避しつつ商習慣を考慮: ベトナムの法律に違反しない範囲で、商習慣に基づく行動を許容するルールを策定。たとえば、公務員や取引先への接待・贈答について、金額や目的を明確化した許容基準を設定する。
- 承認プロセスの簡略化: 日本基準の複雑な事前申請手続きを簡略化し、現地で運用可能なスピード感ある承認プロセスを構築。
■現地と親会社の橋渡しとしてのコンプライアンス体制 (3)
ベトナム従業員への理解促進と教育の強化
- 現地言語で分かりやすい文書作成: 法律専門用語を排除し、具体的な例やケーススタディを交えたわかりやすい文書を作成。対象者のレベルに合わせた資料作りを重視
- ベトナム人従業員の視点から考える実践的なアプローチ: 従業員が直面する可能性のある法的・倫理的リスクに焦点を当てることで、個々の意識改革を促進する。また、従業員がそれぞれのリスクを具体的に想像できるようにするため、実例を用いた教育プログラムを設計
- 継続的なモニタリングとフィードバック: 規則や体制の運用状況を定期的に確認し、現地従業員からのフィードバックを取り入れることで規則を柔軟に改善
ベトナム子会社でのコンプライアンス体制構築は、単に日本の規則をそのまま適用するのではなく、現地の法制度、商習慣、従業員の特性を考慮して柔軟に対応する必要があります。現地独自の規則の策定、商習慣に即した経営判断、そして従業員への理解促進を組み合わせることで、形式的な体制から実効性のあるコンプライアンス体制へと進化させることが可能です。
【まとめ】
ベトナムでは、コンプライアンスに対する意識は、かつてのヘルメット着用に対する感覚と似ている部分があります。つまり、以前において、ベトナム人は、ヘルメットをかぶらないことのデメリット(交通警察に取り締まられた際の罰金や、事故時のリスク)は理解していながらも、「邪魔なもの」として軽視する傾向がありました。そのため、一部のベトナム人は、警察がいない道を選んだり、自身の運転能力を誇示したりして、ヘルメットを着用しないことを選んでいました。10年前には、そのような行動を取る人が半数以上を占めていたと言っても過言ではありません。しかし、取締りシステムの発展やベトナム政府の周知活動の強化により、ヘルメットを着用しない人は大幅に減少しました。このような変化は、コンプライアンスの問題にも通じるものがあります。会社が適切な対策や厳格な対応方針を打ち出すことで、ベトナム人の法令遵守意識を改善し、コンプライアンス意識を高めることが可能であると期待されます。
また、ベトナムは、非常に魅力的な投資先です。その魅力は、これまでのInvest Asiaの各号で十分に伝えられていることでしょう。私自身、ベトナム人として自国を誇りに思っており、多くの投資家の皆さまがこの国の強みを感じ取り、ベトナムへの投資と貢献を通じて、この地の発展に寄与していただけることを心から願っています。
「未完成」の制度や文化の中には、企業が主体的に関与し、新たな価値を創出するチャンスが秘められています。このような視点を持つことで、ベトナムの投資環境をさらに活性化させ、持続可能な成長を実現する道が開けることでしょう。